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2020

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ビヨンド・コロナ時代の都市・建築を考える -collaborated with CIAT-

オープンレクチャー 5月4日〜6日

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ビヨンド・コロナ時代の都市・建築を考える
Collaborated with CIAT
 
《チャット質問とその回答》

 

 

DAY 1:髙橋一平氏レクチャ_チャット質問とその回答

 
Q-1: ありがとうございました。質問ではなく、次元が低いイメージで恐縮ですが、#StayHomeをしなければならないなら、それを基に新たな日常をReデザインするように、従来は個や自己にから立ち上げてきたものを逆に環境や他から立ち上げる、という風に捉えました。
 
T(髙橋):レクチャーの主題は「未来の人間が失ってはならないと(僕が)思う想像力を、都市や日常の環境が支え、維持できるか。そこに建築が貢献できるか」ということでもあります。
stayhomeを踏まえ新たな日常をデザインし直す、という文脈ではありません。この状況をきっかけに、皆が住む家が現在のように建った背景、社会の枠組を疑い、これで良いのか思考する参考となればありがたいです。もしかすると、家のあり方が違っていたら、ウイルス対策も違ったかもしれません。
 
Q-1: 一方で、設計者としては「全部設計してしまう」というのはとても魅力的だと考えているのですが、いかがでしょうか。
 
T:「全部設計してしまう」=建築物のすべてを設計者の思想や表現が染み渡るよう完璧に完結的につくりこむ、という考え方による建築は20世紀に多くありました。設計者としてはそれで満足かもしれません、でも僕にとってそれだけでは自己満足であるかもしれず、物足りません。僕が発表したプロジェクトを見たり、実現した建築物を経験したりすることによって、僕らが生きている世界や物事の見方や認識の仕方が変わってしまうような設計をしたいんです。その時、20世紀的なつくり方では、伝えられないことがあると思います。そういう意味では、全部設計しようとしています。
 
Q-2: 何かを考えたりアイデアを出すために心がけていることや意識していることはありますか。読書する、人と話すなど。大切だと思うことがあればお聞きしたいです。
 
T:読書において知識を身に付けたり、たくさんの本を読むことで思想や価値観の歴史を知る事は必要なことです。だけど本の内容に囚われ過ぎてはいけません。自分の価値観と照らし合わせて、本を踏まえて自分の意見を持つ事は基本です。それから、人と話すことで自分が普段何となく考えていることを言語にできますから、それは良い機会だと言えます。僕も今回のレクチャーを通じ、自分について自分が学んだ、という感覚が少なからずあります。また、アイデアは捻りだそうとしても出ません。何かをしながら出るのを待つほうが良いです。アイデアが出るには、あるシチュエーションや自分の状況が関係すると思います。くしゃみのようなものです。ずっと寒い場所にいると出たり、くしゃみをする日時を数日前に予言できなかったりするのと同じではないでしょうか。
 
Q-3: レクチャーありがとうございました。住宅は性行為をする場でもあるのでどこかに閉じる要素があるべきだと私は思うのですが、アパートメントハウスに関してはそのことに関してはどうお考えですか?
 
T:誤解があるようです。きょうご説明したことは、機能や使い方を前提としてその体現として建築の設計がある、ということとは異なる視点で設計するというものです。ちなみに、この建築は全面ガラス張ではありませんから、壁で囲まれた場所もあることは想像できると思います。
 
Q-4: 聞き逃していたら申し訳ないのですが、内部の仕上げをすべて無機質に統一しているのは何か意図があるのでしょうか。川越でのプロジェクトについての質問です。
 
T:建築のなかで、ある部位の仕上材を特別に取り扱った場合、その建築の主題は内装または仕上材の材質ということになります。僕は建築を主題にしたいと考えています。
 
Q-5: 3作品とも、「この社会の生き方おかしいよ」という意識が前提の、住み手を厳選するような住居ですが、世の住宅がみんなあのようなものになればいいという意識で設計をしているんでしょうか?自分の設計した斬新な住居が、世の中でどう捉えられることを想定しているんでしょうか?「これ面白いでしょ」でも「これが型として普及してほしい」でもないような気もしますが。
 
T(髙橋):「このほうが合理的ではないか」と世に問うべく設計しています。
 
Q-6: 機能は周りの状況に従うことや外部を歩く他人が楽しめる家を作ることとか、コモンがいらない事など共感しました。一方で、その家にどんな人が住むかとか、住む人に合わせて作るとか、そのあたりの優先度は低いですか?
 
T:住む人の要望はたいてい変わります。出来上がった建築が、新しい要望を呼び起こすこともあります。なので、設計の際に、要望に合わせようとし過ぎることにあまり意義はありません。また、その人が出て行ってしまったあと、取り壊すしかない家となってしまう恐れもあります。では、建築は何のためにあるのか。例えば、その家が取り壊されることによる影響が、当人よりも広い、そういう家を考えてみてはいかがでしょうか。その家の前を通り掛かる人が、取り壊されることを惜しむような家です。下の回答もご参照ください。
 
Q-7: 貴重なお話ありがとうございます。
これからの時代、生活に必要最小限の機能を持つ''住宅が携帯される''時代が来る(音楽を聴く部屋、メイクをする部屋などが解体され、外に持ち出されたように)と個人的に考えているのですが、これからの住宅のありかたについて、(住宅がモンゴルのゲルや衣服のようなものに近づくうえで、)ビジョンや考えていらっしゃることがあったらご教示いただきたいです。
 
T:僕自身、建築というものに魅了され、建築によって人間を取り巻く世界観を変える、というモチベーションは維持したいです。その時、建築に魅了される部分は、機能にはありません。機能はパフォーマンスの一種で、一過性のものです。建築には機能よりも大事な性質があると思います。それは、存在感のようなものです。例えば、コーヒーを飲むという習慣が、水分補給や健康管理としては説明しきれないことや、クラスの中に一人だけ体格の大きい人が居たとしてその人が居ない日と居る日とではクラスの雰囲気も異なる、などということと似ている気がします。
 
Q-8: ありがとうございました。西沢立衛事務所で経験したことや建築への思考が独立後の建築につながっている部分、あるいはもし批判的に捉えている部分があれば教えて頂けますと幸いです。
 
T:思想に共感して師事しましたから、色んな影響を受けやすかったと思います。また、対象化したこともたくさんあります。僕も自身に覚醒したと感じます。また、建築設計者に師弟関係や系譜があることは、世界ではあまり例がなく日本独特のことです。ある種の修行文化、芸事文化の一端と思い、今はそのことを大事に考えています。ただ、独立した時の社会状況が西沢さんと僕ではかなり違いますので、自分が建築家として世に出るために、西沢事務所で経験したこととは別の思考も必要であると気づくことは何度もありました。
 
Q-9: レクチャーありがとうございました。いくつか質問があります。まず、環境から機能を考えていくとのことでしたが、もともとその場所が持つ環境と設計によって制御できる環境があると思うのですが、そのバランスはどのように考えているのですか。次に、集合住宅とシェアハウスの違いをどのように考えているのかが気になりました。最後に、コロナ下において完結しない住宅というのはどのような立ち位置になりうるとお考えですか。
 
T:環境を「制御する」という考え方は、僕はしません。
シェアハウスも集合住宅の一部だと言えます。ただ、違いといった時に、用途の違いではなく、その建築の形式や形態に着目したほうが建築設計者にとっては創造的です。
現状のウイルス対策に当て嵌めて考えれば、移動や交流を促す建築や空間がウイルス感染を導く可能性を持つことはその通りです。ウイルス対策も国ごとに違いますし、人間が生きることへの価値観が現れています。現状ではどんな方法がより良いと言えるか、まだわかりません。ただ言えることは、日本がこのようなウイルス対策を立ち上げざるを得ない状況を、今の都市計画や建築計画さらにはそれらが成し遂げた環境で培われた国民がつくった、ということではないでしょうか。建築や都市が変わることで、社会の価値観を根本的に変える可能性がある、ということを、「完結しない住宅」に一度託してみたいと思いました。
 
Q-10: ありがとうございました。コロナで閉じこもらないといけない現状は、家の中に閉じこもって豊かな生活が求められているように思います。その中で、地域に開き、施主の考えよりも外側から建築をつくることに可能性を感じました。今後建築がどのように外との距離感を持つべきだと思われているかをお伺いしたいです。
 
T:「建築が外と距離感を持つ」という言葉の意味がわかりませんでしたが、おそらく上記の回答によって応えられているのではないでしょうか。

DAY 2:渡邉竜一氏レクチャ_チャット質問とその回答

 
Q-11: 貴重なお話ありがとうございます。
橋は対岸どうしをつなぐ道路の役割を持ちながら、橋の下ではホームレスが住んだり、学生がBBQしたり、人間の活動の場所として多様に利用されている点が魅力的に感じます。現状原っぱのままになっている場合が多いですが、(例えば青木淳さんの馬見原橋のように)橋の下の空間をデザインすることは土木と建築の距離が近づくと思うのですが、渡邊さんはどうお考えでしょうか。
 
W(渡邉):空間性や環境から橋を考えることは重要だと思いますが、一方で橋特有の問題に触れて行かない限り、橋を設計したことにはならないと思ってもいます。橋の設計には、対岸をどうつなぐか、どう橋を架けるか(架設)など特有の問題があります。地形を相手すると両岸で地盤条件も異なることを前提にする局面があります。これはスパンが大きいことに起因する問題で土木特有の問題です。
建築と土木が近くなることの問題は、上記のことよりも、双方のコミュニケーションの問題だと感じています。ちなみに業界自体は双方離れていますが、僕自身は設計の上であまり違いを感じていません。
 
Q-12: 潮風橋の件について、最終的に出来上がったものの中で、「コントロールできなかった場面があった」とおっしゃってましたが、具体的にどんな部分のことでしょうか?
 
W:このプロジェクトは、ジオメトリを決めた後は監修的な立場であったため、高欄やケーブルの定着、ボックス桁(この場合は鋼床版ですが)の形状や寸法が、こちらの考えが反映できなかった部分です。
桁の寸法は、密閉を嫌う国内の設計の考え方(思想がないのですが)によって、一般的な維持管理の寸法から決まってしまうのです。実は別な選択があるので、最近は維持管理からデザインを考えています。
既存の考え方の人たちとのプロジェクトの場合、最終的な判断まで踏み込めない点が監修の難しい点です。責任区分という厄介な問題が存在するからで、この解決には保険制度をもっと真剣に議論しないといけないと思っています。
 
Q-13: 本日は貴重なお話ありがとうございました。昨日、高橋一平さんが質問に対する答えで、独創性を鍛えようと意識して何かをしないほうが良いとお話しされていました。
私は、これまで、この外に出れない状況なので建築家の本や雑誌をたくさん読めばよいのではないかと考える一方、昨日高橋さんがお話しされていたように読めば読むほど自分の独創性がなくなってしまうのではないかとも考えていました。
昨日のお話が自分の考えと通ずる部分があったので、建築家になるために今できることは何なのか、分からなくなり、悩んでいます。
そこで、渡邉さんや高橋さんから見て、今私のような一年生が建築に関してすべきことは何か。というのをお聞きしたいです。
やはり本は読むべきでしょうか。
長文になってしまいすみません。
 
W:例えば、建築の本ではないものも選択してみてはどうでしょうか?
本は思考力を養うのに必要だと考えます。一方で、そのままの内容を鵜呑みにしないように注意も必要です。ある一定量読んだ上でないと批評的に読むことも難しいでしょうから、初めは、興味に任せて選んでみると良いのではないかと思います。
 
Q-14: ありがとうございました。橋を作る上で、エンジニアリング、周辺の環境、空間の体験、といった要素のバランスを繊細に考えていると感じました。一方で、公共事業であることから、お金の面もシビアに考えなければいけないと思いますが、今日紹介のあったもので経済的な制約で実現できなかったり、性能を落としたりしたものはありますか?(お金があればもっとこうできた、というもの)
 
W. 橋のようなインフラのプロジェクトではコストの問題は非常に重要です。今まで経済的な制約で実現できなかったものはほとんどないです。予算の中で作るというよりは、製作方法やどこで作るかということにアプローチをしています。
 
Q-15: レクチャーありがとうございました。質問が二つあります。日野橋の断面スケッチで歩道の車道側が少し盛り上がり柵が省略されていて、それが歩いているときに抜けを生み出すようなダイヤグラムで面白いと感じました。それは実現されなかったのでしょうか?
また、前回のCIATでは日本の歩道橋からプレゼンをされていましたが、歩道橋と橋では街への密着度が違うと思うのです。これからの日本の歩道橋でどのようなことをしたいかお話をお伺いしたいです。
 
W:長大橋の場合、交換の問題(自動車の衝突)があり、長期の使用を考えた際に、設計としてとるべきではない選択があると考えています。なので最終的には、鋼製車両用防護柵を新規で設計しました。またこのプロジェクトもジオメトリを決めた以外は、監修的な立場のため、最終判断まで踏み込めない問題がありました。
 
Q-16: 渡辺さんと一平さんでは、橋・住居、公共・私的、人のいない景観・人あってこその利便、などと一見するとものすごく真逆なことを目指している気がしてしまいますが、時々口にしていた「行為を誘発する」は、橋の手すりや部屋にぽんと置かれた風呂などで一致していて、明らかに二人になにか共通する物があると思いました。俺らに共通する本質的なポイントを教えていただきたいです。
 
W:君達に共通するポイントということですか?
すいません。僕が質問の意図を理解できていないのかもしれませんが。
 
Q-17: 橋をかけることを前提として、行為そのものを用いて市民を味方につける、という話がとても興味深かったです。表門橋は、橋を運ぶという作業がとても象徴的なものとして市民の方々に映ったと思うのですが、建築を作っていく上でそのような象徴的な風景は難しいような気がしています。行為そのものを演出する以外で、どのように市民を味方につけていくことが可能だと思いますか。
 
W:丁寧に話を聞く姿勢を持っていれば可能だと思います。
 
Q-18: お話のなかでジオメトリーという言葉をよく使われていて、渡辺さんがジオメトリーというのを強く意識されているのだとわかりました。そこで建築デザインにおけるジオメトリーの重要性や役割や学ぶ意義といったものを教えていただきたいです。
 
W:かたちを決める論理につながります。また客観的にプロジェクトを見直す際にも有効です。感覚的に捕まえたものを、かたちに置き換える時に必要なものだと思っています。
 
Q-19: 貴重なお話ありがとうございました。出島表門橋では、出島側に荷重をかけられないという本来ネガティブな要素を逆転させて魅力的な橋になっていると思うのですが、ネガティブな要素をどのようにとらえて設計されましたか?
 
W:困難はチャンスだと思います。制約条件はデザインの機会になると思います。
 
Q-20: 貴重なお話ありがとうございました。橋のデザインだけでなく、デザインの付加価値を市民と共有することにも全力を注いでらっしゃることに感動しました。現代日本において、建築、土木といった分野(もっと広げると理系・文系)に縛られず次々と新たな仕事を展開していくことは容易なことではないと思うのですが、大学を卒業してからどのようにして渡邉さん自身の道を開拓していかれたのでしょうか。
 
W:先入観を持たないことということが重要だと思います。僕が大学院を修了した2001年はバブルがはじけた後で、モノを作らない方向、モノへの信頼が揺らいだタイミングでした。なのでtomatoとワークショップをやっていた時期もあれば、土木工事の仮囲いのデザインをやっていた時期もあります。一見すると直接今につながっていないように見えますが、コミュニケーションや土木という大きな広がりに関心があった点で、振り返るとつながっています。こういったつながりは、当時は想像できませんでしたが、振り返るとつながっていることに気がつくのです。困難な時ほど人は考えるので、見えないチャンスをつかまえる良い機会になるはずです。
 

DAY 3:藤野高志氏レクチャ_チャット質問とその回答

 
Q-21: ありがとうございました。質問ではなく感想です。以前授業でアトリエに伺ったときは建築が自然に飲み込まれていくことに怖さを感じたのですが、コロナで外出ができなくなり家の周りの散歩ばかりする今になって、藤野さんの考えていらっしゃることが少しわかるようになった気がします。興味深かったです。ありがとうございます。
一方で、藤野さんが「物理的・心理的に守られた状態から外に繋がる心地よさ」とおっしゃっていたのが意外でした。私からはかなり自然に飲み込まれているように感じたんですが、それでも藤野さんにとっては自然と距離を取っている状態なんですね
 
F(藤野):感想ありがとうございます。
私たちの日常は大きな環境と繋がっていて、その流れを構成する一粒が私たち人間だ、と感じられる建築を作りたいと思っています。それは現在のようなSTAYHOMEの状況下でも、精神が孤立せず、想像力の広がりをもたらす建築です。
でも人の感受性が外の世界に向かうには、まずは自分という存在が安定していることが大切です。守られているからこそ開ける、と。建築や植物に囲まれたところから、草花を剪定したり、窓を開け閉めしたりしながら、住まい手が主体的に環境との距離感を作り出せる、そういう自由が、人間のための空間には必要だと思っています。
 
Q-22: 貴重なお話ありがとうございます。
建築とは離れ、進路選択のお話なのですが、清水建設を就職先として選んだきっかけ、そこからはりゅうウッドスタジオや生物建築舎へと環境が変化したことで感じたことをもう少しお聞きしたいです。(私自身も東北という現在地からどのように環境を選択するか考えているタイミングなので)
 
F:東北大で学んでいた頃から、将来は建築家として独立したいと決めていました。
阿部仁史アトリエにアルバイトで通う一方で、都市を埋め尽くす多くのアノニマス建物が、どうやって作られているかにも興味がありました。それを知りたくて清水建設へ行きましたが、実感したのは、組織の中にあっても、最後は個の力が良い建物を作っているということでした。また建築の本質は、規模やプログラムでは決まらない、ということでした。
911テロのすぐあとに、はりゅうウッドスタジオに入れてもらいました。打合せと図面作りと設計監理だけでなく、見積、製作、現場管理など、建築作りの多くのプロセスを生かし、強い建築を生み出す整さんに魅力を感じたためです。会津の雪深い環境で、自然の大きさと、忍耐の向こうに広がる自由を学んだと思います。
その後、故郷の群馬で独立してからは身の回りの環境を退屈に感じました。しかし仕事が底を尽き時間を持て余すようになってから身近な環境の微差にも耳を澄ますようになり、そんな感受性を忘れずに建築を考え続けたいと思い、アトリエを作りました。
 
Q-23: ありがとうございました。
見せていただいたアトリエの様子が衝撃的でした。
個人の生活の規模を外側の立場から広げる、ということが今回レクチャーしていただいた方々に共通していたように感じます。
藤野さんはその中でも木であったり、空気のような自然に対して広げることを意識していると感じました。会津と東京で暮らしていく中で、何か違う印象を抱くことがあったのかどうかに関して知りたいです。
日々の環境がダイナミックに変化するとおっしゃっていましたが、自然と都市の印象の違いに関して感じることはありましたか。
 
F:自然と都市は似ています。人間の制御を超えた複雑さ、膨大さが共通しています。カプセルと小屋という、極小空間に住んでいたことが、そのダイナミズムをより強調しました。一方で、会津と東京に比べ、むしろ群馬が異質に感じました。環境の流れがスロウで、変化も限定的だからです。センシティブに暮らさないと、自分の感覚が知らぬ間に閉じていくのではないか、という不安があったくらいです。
大都市と大自然の類似性についての物語を表現したのが卒業設計の「森の都」ですが、「森→生物」と「都市→建築」という構成要素まで分解したのが「生物建築舎」という名前です。自然と都市、生物と建築を並列に並べたくて。
 
Q-24: 質問です。鹿手袋の保育園について、周りの集合住宅などを巻き込みながら子育ての環境をつくっていくという提案に興味をもったのですが、実際に保育室が町の中に入り込んでいったりということも想定していらっしゃいますか。セキュリティの問題や子どもの声が騒音といわれてしまうことなど課題もあると思いますが、その辺りはどのように考えて成立させていくのでしょうか。
 
F:セキュリティはとても重要です。保育室は隣接建物に限定し庭を介して繋ぎます。一方で子供の声については、それを騒音と捉える社会を変えるために建築を作りたいと思います。近代以降、建築に関わる人たちが、住空間を閉ざし限られた空間での個人の欲望を増大させたツケだと思います。私たちや未来の君たちが変えるべきことです。
 
Q-25: 大変貴重なお話でした、ありがとうございました。建築の論理性についてのお話になっていますが、これからの建築を考えていく上で、存在そのもので語られているような建築を言語化し、建築理論として表現していくことに対する必要性を皆さんがどうお考えなのかを伺いたいです。わかりにくい質問で申し訳ないです。
 
F:論理性が話題になりましたね。私は個々の作品の具体的な決定プロセスに触れず、むしろ作品群全体を通して、通底する論理を伝えたいと考えました。一平さんが仰っていた建築作品の論理とは、建築を世に問い概念の刷新を試みる以上、建築家が示す大きな論理で作品は評価されるべき、ということだと思います。
建築を体験した人がその建築にどんな可能性を見出すか、各自が建築をどう読むかは、建築家の言葉とは無関係でもあります。建築の論理は建築体験を通して感じ取れるものと考えると、作り手さえ理解できていないこともある。正直いって、私は他者からの批評によって自作の理解を深めることも多いです。
 
T(髙橋):建築は、物質を用い経験可能な哲学論理と捉えると、論理にストラクチャーがあることは建築作品にとって最低限のマナーだと感じますし、そうでないとその建物は建築ではない、と言えそうです。そうしてできた建築に対し、その時代の価値観やパワーを感じることができます。時代を超えて、または見る人によって違った解釈されても良いし、その解釈が創造的であれば、新しい論理または合理精神が生まれる気がします。そのようなコミュニケーションとしての側面も重要だと考えます。
 
Q-26: 藤野さんにとって、環境は人工的に作るものなのでしょうか?それとも既にある状態で享受するものなのでしょうか?事務所と雪の中での生活のエピソードにギャップを感じました。
 
F:人工的に作ったものも、既にそこにあったものも、等しくどちらも環境だと思います。環境とは、私たちを取り巻く世界そのもので、どれも人為的なデザインの対象です。環境を自分の外側だけの問題と捉えると、公害や環境問題や戦争などの悲劇に繋がると思っています。
 
Q-27: ありがとうございました。以前授業でアトリエやほかの作品を見させていただいたときに、建築を見ることよりも藤野さんの言葉を聞いて初めて少しづつ分かってくるような印象を受けました。私には、言葉や理論が建築に勝っているように感じたのですが、藤野さんは施主や利用者には建築をどのように感じてほしいのかお聞きしたいです。
言葉で説明しないと分からない魅力が隠れているという意味でした。
 
F:今回のプレゼは学生のみんなにわかりやすく、なるべく楽しく喋ろうと心がけました。そのためキーワード的な言葉が先行したかもしれません。
施主や利用者には、建築を自由に各自好きなように感じて欲しいです。建築は徹底的にコントロールしたいですが、使う人の気持ちは制御したくありません。あくまでニュートラルで。